「見せ物」として人を呼び、「生命の歌」を聴かせる。
率直な印象を言うと、こんな感じなのだ。
シチリア出身のチェリスト、ジョヴァンニ・ソッリマと、氷の彫刻家ティム・リンハートを中心にして行われたプロジェクト〝N-Ice Cello〟を追いかけたドキュメンタリー映画『氷のチェロ物語』を観た。
2018年に行われた、アルプスの氷河から作られた〝氷のチェロ〟をソッリマが弾くツアーを、アルプスの麓トレントからソッリマの故郷シチリアまで追いかけた映像作品で、音楽のほか、ソッリマとリンハートをはじめチェロを運ぶクルーたちの心が徐々にひとつに繋がっていく様子も描かれる。
氷のチェロは、普通に運んでいたら溶けてしまうので、冷気を保つ特別な車両を用いて運搬し、演奏の際も特別なテントの中で演奏する。
その透明なテントが、いわゆる「見せ物」を連想させるのだ。
例えば、ライオンのような猛獣を檻に入れて町に連れてきたとする。檻の周りには人が群がり、金を払ってでも中を見たいと思うだろう。そんな、人の好奇心を掻き立てる装置の役割をテントが果たしているように思えるのである。
そして、「生命の歌」である。
私は幸運にも、2019年に来日したジョヴァンニ・ソッリマにインタビューし、彼の音楽や人生に対する考え方を聞くことができた。
コンサートのレポート↓
インタビュー↓
クラシック、現代音楽、ミニマル・ミュージック、そして民俗音楽……。さまざまな側面から語られるソッリマの音楽。どの文脈からアプローチしても、聴く者が導かれるのは、生命の源にある神秘だったり、美しさだったりすることに異を唱える人は多くないのでは、と思う。
「太古から文化の十字路であり、多様な民族が行き来したシチリアの、失われた記憶がほしい」と彼は作品の中で語っている。
恐らく彼が音楽で到達しようとしているのは、もっともっと深い場所にあるどこかなのだ、などと言ったらロマンチックに過ぎるだろうか。
そう考えを巡らせると、先ほど「見せ物」と表現したテントが、まるで子宮であるかのように思えてくるから不思議である。
氷でチェロを作り、後生大事に運び、音楽家が演奏する。
途中、機材トラブルでチェロが溶けてしまいそうになる危機も幾度か訪れる。
これに対し、大の大人が何人もかかりきり、まさに命がけでチェロを守りぬく様子、そして溶けゆくチェロに更なるロマンも感じつつ懸命に対峙するソッリマの姿は、傍から見たら、ひょっとするとかなり滑稽に映るかもしれない。
しかし、氷、つまりは水に生命の神秘を見出した彼らにとっては、まさに自らの信念を実現するためのプロジェクトで、スタッフ全員の情熱は、ソッリマの音楽がより崇高な何かへと昇華させたといっていい。この映画は、自らにどこまでも正直であれ、とも言っているように思える。
また、このプロジェクトは、地球温暖化に対するメッセージとしての側面を持っている。
「失われた記憶」つまり過去に想いを馳せる一方で、現代社会が抱える問題にもしかとコミットしているのが、ソッリマの音楽に確たる現代性を与えているのである。
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