昨日に続き、ギターのことを。
動画を作るのに自分で課したルールを、ひとつひとつ振り返って考えてみる。
●ただの練習たれ流しではなく、何か一曲とか、そうでなくとも「ひとつの作品」のようにまとまったものにする
そりゃあ、そうだろう。たれ流しできるほどの技術がないのだから(笑)。
うまい人だったら、カメラを前にして、ソファに腰かけてポロンポロンと弾いていれば、それだけで十分に素晴らしいだろうし、観るに値すると思う。
そうじゃない自分が、カメラの前でガチガチに固まって、何をやろうというのか。
事前に何の曲を、どんな構成でやるのか考えて、ある程度練習しておかないと、話にならないのである。
そこで、好きな曲とかやってみたい曲を一曲選び、そのコード進行とか印象に残るフレーズを参考にして、組み立ててカタチにする作業をしていくことにした。
いわば、考えるのも練習なのだ。
●自分が納得いくものが撮れるまでやるのではなく、1時間なら1時間、と「締め切り」を設けて、その中でできたものを、不完全でもいいから出す
これは、ちょうどその頃に取材させていただいた、仰木日向さんの本に書いてあったことがヒントになった。
いま、手元に本がないのだが、、確か「キーワードを書き込んだカードをランダムに引き、出たキーワードをテーマにした曲を1時間 or 2時間で作る」みたいなものだったと思う。
だから、参考にしたのは時間の制限だけなのだが……。
しかし、何事にも締め切りは大事である。
私の場合、家に一人でいるときにしかできないので、自然と「妻が帰ってくるときにはすべて撤収し、場合によっては食事の準備も進めている」というルールが出来上がった。なので、結果的にそれほどこだわらずに現在に至っている。
その代わり、自分が満足するようなものなど出来たことは一度もなく、必ずどこかが不細工だったりズレてしまっている哀しい代物が積み重なっていくのである。
●撮ったのなら、それを何らかのかたちで人が観られる状態にする
私のような怠け者の場合、そうでもしないと練習にならない。撮ったけれど、うまくできなかったから今日は公開しない、なんてことを一度でもやったら、それが当たり前になってしまい、緊張感がなくなってグダグダになり、撮る意味もなくなってしまうだろう。
SNSやYouTubeなどに公開するのは、一度思い切ってやってしまえば、怖くもなくなる。
人は皆忙しいので、自分が思うほど他人のことなど気にしていない。
加えて、他人の下手な練習ほど観るに堪えぬものはないから、大丈夫だ。観られない。私だって、同じようなものに出くわしたとしてもスルーすることを約束する。
そして、私は今のところ幸運にも「下手くそ!」とか何やかやと野次ったり、からかったりする輩に出会うことなく(あるいは、出会っていたとしても、わざわざエネルギーを使って野次るだけの価値すら認められていなく)、ひっそりと平和に過ごすことができている。
とはいえ、公開しておくと、ポツポツと観る者が現れるようで、再生数がやっと3桁に届くかなんていう非常にミクロなレベルではあるが、少しずつ増えてきた。それはそれで、練習のモチベーションを高めてくれるのである。
ちなみに、いまのところいちばん観られているのがこれである。
そして。
前回の投稿でも書いたように、記録として残し、自分で見返して課題を確認するのがまず第一の理由なのだが、YouTubeの場合、収益化しているわけでもないのに、しかも自分の動画を観るというのに、広告を何十秒も流した後でないと観ることができないのが理解に苦しむところである。
まぁ、無料で使っているから仕方ない話なのだろうが。
ということで、もう少し続く。
0コメント