先月、引っ越しの準備に追われているとき、荷物をスリムにするために大量の書籍を売ったのだが、その預け先が池袋の古書店「往来座」さんだったのだ。
それまでも往来座には書籍を買い取ってもらっていたが、このときに初めて、主人が、辰野町の出身だったと知ったのである。
そして、彼の父が著名な彫刻家で、故郷の辰野で個展が開催されるということも。
というわけで、今日は仕事もひと段落したので、午後、行ってみることに。。
その彫刻家の名は、瀬戸剛(せと・ごう)。彼の父、瀬戸團治もまた、名を馳せた彫刻家であった。
上記のサイトにある彼の言葉には、山里の色っぽさがあるような気がする。
長野県出身のかつての先輩達は異口同音にこんなことを言う。
「あれだけ朝から晩まで山の塊を見ていれば、どうしても彫刻をやりたくなるねー」
・・・私はどうやら山の量塊のような内壁を持った子宮の中で育ったようだ。
未だにその頃夢見た、理想的な幻の山を人体に捜している。
果たして、彼の彫刻は、動きのあるものは静かにたたずんでいるようで、また静止しているものはいまにも動き出しそうで。
静かな中にも確とした生命を宿しているようで、つい見入ってしまうのだった。
ほかにも、パリでマティスに師事した中川紀元の洒落っ気のある絵画や、陶芸家・大森光彦の「鶏血釉」などが印象に残った。
辰野は小さな町だが、各分野で個性的な作品を残した芸術家を輩出していて、この地域(ひいては信州)の文化の粋を感じたのだった。
会場となった辰野美術館。小ぢんまりとして、館内には昭和の薫りが漂っていた。
まだまだ、富士見町の井戸尻考古館をはじめ、地元を知るために行きたいところがたくさんある。
今後も暇を見ては訪れてみる予定だ。
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