古民家の残家財を片付ける ―― 古民家再生について①


茅野市の笹原集落にある家は、現在、残家財の処理をセルフでできるところまで済ませた状態なのだが、ここまで来るのは、なかなかに骨の折れる作業だった。

その様子を、少しだけ。。

通常、残家財の処理は原則売主負担である。不動産業者だったり空き家バンクを介して売りに出す場合、残家財は事前に処分することを勧めている。そのほうがサイト等に掲載するのにキレイな写真が撮れるからだ。結果的に売れるのも早いと思う。

カントリーボックス信州のウェブサイトでも触れている。

しかし、この家の全オーナーは、それをせずに出ていってしまった。

家の中には、炬燵や布団をはじめ、キッチンの調味料まで、あらゆるものがそのままになっていた。

例えばこんな感じ。ほかの部屋もだいたい同じようなものだと想像してもらいたい。

部屋にはカーペットが何重にも敷かれていて、家の隙間という隙間はガムテープで補強されていた。

昨年からいろいろな古民家、古家を見せていただいているが、この家のみならず、部屋のしつらえや残置物の様子から、その人がどのような生活をしていたのかが偲ばれるようで、ちょっと複雑な気持ちになる。

布団の山。これはまだまだ氷山の一角であった……。この地区は冬の寒いときには氷点下10度ぐらいまで下がることもあるという。

このほかにも古い新聞の山(私が確認したいちばん古いものは1978年のものであった)、食器の山、電化製品の山……。これらを引っ張り出しては、車で諏訪の清掃センターへと運ぶ。車2台で、一体何往復しただろう。。

その結果、やっとこのぐらいまでにはなった。

カーペットの下から現れた畳には囲炉裏があった。これも寒さをしのぐためのものだという。

集落の人々の暮らし、またこの家に住んでいた人たちの暮らし。様々なものを私たちに教えてくれた家の中は、だんだん空っぽに近づいてきた。

片づけるのは、家の外も同様である。道にはみ出てしまった木の枝を切り、まとめてこれも清掃センターに持って行く。その後、車の中に小さなハエがたくさん残ってしまい、、駆除するのがこれまた大変だった……。

ここまでやって、やっとどのように運営していくか、おぼろげながら見えてきたのであった。

私の椅子はどこに

2022年11月に50歳を迎え、第二の人生が始まり、これからいろんなことがドラスティックに変わっていく――。 なんて、勝手に思い込んでいるフリーランス山﨑の、日々雑感です。 編集やライティングの仕事に加え、2021年に宅地建物取引士の資格を取得したので、仕事にも幅を持たせようという話、 あるいは趣味のギターやエンタメなどの話をしていきます。

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