「仕事がない」というワードについて


タイトルのとおり、仕事がない、のである。

いや、来週になれば取材もあったりするのだが……。


だからつまりは「仕事」ではなく「締め切り」がないのである。


いま、発注元に「納品」すべき原稿という「製品」を作らなくていい。

この状況を、つまりは「仕事がない」とか、「ヒマだ」とか言うのだと思うけれど。


小心者のしがないフリーランスは、不安がないように繕うのに必死なのだ(汗)。

なんたって、飯の種がないわけだから。何をやってもお金に直結しないのだから。


物価は上がる一方だし、加えて増税さえもメディアで繰り返し囁かれるうちに既定事項になってしまいそうな空気が醸成されつつある中、これは一大事である。


ちなみに、前回このような状況になったのはいつだろう。

2020年の、コロナ禍が始まったときだろうか。

あの時は、社会全体の動きが止まってしまった感じだったので、「みんなで頑張ろう」的な空気もあったと思うが。


今回は、どこか自分だけが取り残されたような気分なのである。

いやはや、本当に小心者……。


しかし。

冷静に考えねばならぬ。


今は、準備の時、なのではないか。時間を、もらっているのだ。


2020年に自分はどうしたか。

宅地建物取引士の試験勉強をして、合格できたではないか。

以前、医療系の器具を作る中小企業の取材をして、工場見学的なページを作っていたことがあったのだが、やはり、どこも「リーマンショックの時にISOを取得した」とか、「仕事がなくなってしまった時に新しい技術を開発しました」とか、はたまた「居酒屋でこんにゃくをつっついていたら、アイデアが閃いた!」なんていうのもあった。


つまり、みんなどこかで準備の時間を有効に使っているのだ。


私もここで、来年以降のための準備をしなければならぬ。

考えていること、そしてやらねばならぬことが、たくさんあるんだ。

それについて、今後、書いていきたいと思う。


まぁ、ひとつ問題があるとすれば。


そんなことを言っていられる時間も、ひょっとして来週で終わってしまう危険性を孕んでいるということなのだが……。


つまりは、何を言いたいかというと。

「仕事がない」というのは、人の心を焦らせる一方で、実は非常に貴重なことなのだ。

ということで。

今朝の空。この、朝日がビルを染める時間は、一瞬なのだ。

私の椅子はどこに

2022年11月に50歳を迎え、第二の人生が始まり、これからいろんなことがドラスティックに変わっていく――。 なんて、勝手に思い込んでいるフリーランス山﨑の、日々雑感です。 編集やライティングの仕事に加え、2021年に宅地建物取引士の資格を取得したので、仕事にも幅を持たせようという話、 あるいは趣味のギターやエンタメなどの話をしていきます。

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